楽園はボクのアタマの中だけでいい~ITのサービス名と実態から、必要とは何かを考える
アタマお花畑だね、と言われても上等だ。
世界はくだらないから、せめてボクのアタマの中だけは、
って、いつも思っている。
この記事を読んでたった2つのことを考えた。
1.名前は大事。
2.外で遊べ。
中学3年女子B美は、恋人ができたのでいよいよ憧れのカップル専用SNSデビューを果たした。もともとは、好きなタレントが使っているという情報を聞き、恋人がいる先輩達がこれ見よがしに使っているのを見て憧れたためだ。CMで流れているのを目にしたことも大きかったという。
こうやって、悪いオトナはガキを騙して金を稼ぐ。
おおいに勉強して手練手管を手中にしたいところだが、
なんだか虫唾がはしるのだ。ダメだ。ほんとうにダメだ。
*
それでも人はWatsonのことを人工知能と呼ぶだろうし、
こーいう差別という言い方がキツければ区別の仕方で
モノを売ろうという猪口才は、ますます見習いたいが、
残念ながら、これができればもうちょっとマシな人生だったはず。
*
「根底にあるのは『伝統の捏造(ねつぞう)』と同じ考え」と分析するのは著書「江戸しぐさの正体」で知られる作家で歴史研究家の原田実さん。現在の道徳や公民の教科書が取り入れている「江戸の商人・町人の心得・風習である江戸しぐさ」なるものが、実は1980年代に創作されたことを2014年に著書で指摘し、今もなお教育界に波紋を広げている。
原田さんによると、「江戸しぐさ」を創作したのは高校教員や雑誌編集長を務めたとされる芝三光(しばみつあきら)さん(99年死去)。彼は日本人や社会のモラル低下を嘆いていた。現状を否定し「昔は良かった」とばかり「ユートピア」を過去に求めた結果、道徳が優れている「想像上の江戸時代の人々の風習=江戸しぐさ」を生んだ。
彼の弁も本当かどうかは、にわかに信じてはならぬ。
ただし、こういう言説もあるくらい、名前をつけることは
のちのちの世界に影響を与えるものだということ。
よかれ、と思ったことが悪いほうへはたらくことは、
どうやったって人知の外のことだ。
*
話のむきが変わっているように思われるかもしれない。
記事を読めばわかるが、アメリカのほめるべき側面は、
目的のためには手段を選ばないところだ。
元GoogleだろうがAppleだろうが、そんなものは話題だけで
在野に異種のアプローチをしている人間は多い。
私事を久々に少し。読み飛ばしてくれてもいい。
ボクはクリエイティブな人間ではない。
その向きの仕事に就いてしまったが、
振り返ると、多くの人間に騙されたり利用されてきた。
いい思いもしたんだろうが、一瞬のことで
トータル、赤字を背負い込んでいる。
美辞麗句に考えもなしに(もしくは考える知能すらなく)
乗っかったことにある。
もう一方では、気に入らないと反射的に感じたことに
極端な拒絶反応を示してきたこと。
どうすれば正解だったのかはわからない。
不正解の人生であり、余生は散々な赤字で終わる。
自分はまったく賢くないってことを、
どうして心の底から認め、身の程をわきまえなかったか。
そんなことばかり考えて今を過ごしている。
健やかな暮らしぶりとはいえない。
せいぜい、今できることといえば、
アタマの中でいろいろ考えはするだろうが、
手堅く、仕上げを地道にやることだけだ。
そう考えると、必要なものはひとつかふたつくらいになる。
理想をそこに掲げ、いろいろ縮小していこうとしている。