機械と人間は折り合えない気がする~Twitterトラブル、軍事ドローンのパイロット不足、日本の労働人口がロボットに奪われるそうだ、など
ペシミスティックな記事をポストすることになる。
なんか、タイトルのように思ったニュース群を。
日本では、大手芸能人グループの生謝罪(?)で
ツイッターが落ちたとも話題になった。
これは、その翌日のツイッターがダウンしたことについての報。
公式が自アカウントで説明というか謝罪というかをしていた。
昨日の18時前からのシステム障害はコードの変更によるもので、本日未明に完全に復旧いたしました。長時間に渡って不安定な状態が続き、皆さまにはたいへんご迷惑をおかけいたしました。誠に申し訳ございませんでした。 https://t.co/Dkv2zqICbr
— TwitterJP (@TwitterJP) 2016, 1月 19
上記をクリックして、それに投げられたメンション(@)を
読んでいただけたら、このポストにこーんなタイトルをつけた
悲しいというか、せつない理由がわかっていただけるかと。
なるほど、ツイッター側は人間がコードを変更した、と言っている。
機械オンチなので「コードの変更」の意味とか手間とかわからない。
ただ、本当のところはどうなんだろうね? とか思うのが普通。
そこに罵詈雑言を浴びせるとは、どんだけストレス社会だよ、と。
*
機械が引き起こすストレスに強引にからめて、こんな記事。
重要箇所を引用。
空軍のドローンパイロットの多くは、ネバダ州ラスベガス近郊のクリーチ空軍基地に勤務しているとされる。時には1日約12時間も複数のコンピュータースクリーン画像を監視し、敵を発見し、上司の「ミサイルを撃て」という冷たい声の命令で画面上の人を殺す。
とはいえ、これは冷暖房の効いたオフィスでの仕事だ。ドローンパイロットは仕事が終わると、基地のガレージに停めていた愛車に乗り込み、近所のスーパーで買い物をして帰宅。夕食を食べ、テレビ番組を見ながら家族との時間を過ごす。そして翌朝はまた画面の中の戦場に戻る-。
こうした「日常と戦場の短期的な往復」が精神的に耐えられないのだ。
米ニューズウィーク誌は「毎日人を殺しては牛乳を買って家に帰る異常さ」という見出しで、ドローン操縦者の精神的苦痛を表現している
ドローンの操縦者がどう映るか。パイロットたちが最も重視する「肝っ玉が据わっていること、男らしい度胸」(ザ・ライト・スタッフより)が不要で、操縦士でありながら空を飛ばない…。それは果たして「パイロット=操縦士」なのか。
仲間にして最大の理解者であるはずのパイロットたちからは落伍者扱いされ、苦悩に見合った評価を得ることがない。これでは配置転換を望むのも当然だ。
長い引用になった。ごめん。記事を読んで。
つまり、戦場と日常の淡々とした往復に罪の意識が浮き彫りになるストレスと
ドローン・パイロットはいわゆる航空機パイロットからバカにされるという
自尊心を損なわされるというストレスの2つがあるということ。
人殺しにどんな自尊心が、とも思う。
しかし、人殺しに機械を使うことで救われるべき人間性が
むしろ、どんどん摩耗していってしまうという事実があるよう。
*
「人間性」とは便利な言葉。簡単に逃げ込んでしまうが、
こんな記事もある。
人工知能やロボットで代替される可能性が高いのは製造や販売などの現場作業が多く、可能性が低いのはクリエイターや研究者、医者や保育士などだった。必ずしも特別な知識・スキルが求められない職業や、データの分析や秩序的・体系的操作が求められる職業は代替可能性が高い傾向にある一方、抽象的な概念の知識や他者の理解、交渉などが必要な職業は代替が難しい傾向にあるという。
いい加減なことを書くんじゃねーよ、と。
現場に人がいなくてどうすんだよ。
クリエイティブって言葉をイチから責めてもいいんだけど、
創造性豊かな人工知能が生まれればいいし、
正確性をウリにするなら医者だって機械のほうが安心できる向きもある。
このデータを作った人たちの我田引水のニオイがする。
*
機械の再定義が必要なのもあるけれど、
技術力が上がったばっかりに、
それを当然と思っている人は人間を侮ることを覚えたのか。
それこそ、人類の危機ではないか。
---------------(以下定期)
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